働く母の育児・食事・育自

フルタイムで仕事しながら、小4&年長の姉妹を育てつつ、自分の趣味や楽しみも忘れたくないと思うあまり、すべてが中途半端になっているアラフォーオンナの日々を綴っています

思い出の先生

今週のお題「思い出の先生」

私は、これと言って目立つ能力もないし愛想もないからか、先生から特にかわいがられたという記憶がない。

先月、中学高校の同窓会に行って、高1のとき担任だった先生に挨拶したら、すっかり忘れられていたようで、他の子には親しげに話すのに、私にはなぜか丁寧語で、なんだかとても寂しかった。まあ、先生にしてみれば、数え切れないほどいる教え子のなかのひとりなんだから、忘れてしまって当然なのかもしれないけど。

だけど、そんななかで、ひとりだけ「思い出の先生」がいる。小学6年生のとき、中学受験をするために通っていた塾で、国語を教えてくれた先生。当時25歳の男の先生だった。

小学校の担任が40代の女の先生だった私にとって、塾の先生たちは男性というだけでとても新鮮で、なかでも国語の先生は若かったから、ちょっと特別な感じだった。

小6の夏休み、夏期講習でほとんど1日中塾にいて、世間的に見れば「勉強ばかりさせられてかわいそうな子ども」だったのかもしれないが、先生たちがおもしろい話をして授業を盛り上げてくれたり、塾の廊下や階段を走り回ってスタッフに怒られたり、友達とこっそりお菓子を食べたり、それはそれで楽しい毎日だった。

国語の時間は、特に楽しかった。雷で塾が入っているビルが停電したときは、黒板に黄色いチョークで全部の字を書いて「見えるかー!?」って言ってみたり、漢字の音読み訓読みを先生自作の変な語呂合わせで覚えさせられたり。もっと楽しいことがたくさんあった気がするけど、記憶がぼんやりして思い出せないのがすごく残念だ。

小6の私は、算数や理科はまったくダメだったけど、国語はできた。先生は、難しい問題になると、よく「じゃあ、」と私を当てた。私の旧姓はありふれた姓で、クラスに同じ姓の男の子がいたから、いつも下の名前を呼び捨てで呼んでくれて、そんなことも嬉しかった。

受験本番の前日と、第一志望に落ちてちょっと落ち着いたころ、自宅に電話をしてくれた。第一志望に落ちたのは、もう本当に悔しかったし、両親を悲しませたことがやるせなかったけど、先生が落ちた私にだけ電話をしてくれたことがわかって、それもまたちょっと嬉しかった。

そして、それからもう、20年以上経つ。先生とは、中学生のころ一度会って、大学生のころ長文のメールをやりとりして、社会人になってから一度会いたくなって電話したけど、実際に会う約束まではしなかった。

年賀状のやりとりだけは、今もずっと続いている。年賀状でしかやりとりしないから、前の年のコメントのお返事が1年越しで書いてある。私が学生のころは学校のいろいろ、就職したら仕事のこと、親になったら子育てのこと。先生はいつも、私のライフステージに合わせて、コメントを書いてきてくれる。先生は、いつまで経っても先生なのだ。

私にとっては、たぶん、初恋の人なんだけど。

49歳になった先生は、どんなふうになっているんだろう。一度会ってみたいような、思い出のままとっておきたいような、でもやっぱり、できることなら会いたい。私の、大切な先生。