働く母の育児・食事・育自

フルタイムで仕事しながら、小4&年長の姉妹を育てつつ、自分の趣味や楽しみも忘れたくないと思うあまり、すべてが中途半端になっているアラフォーオンナの日々を綴っています

やっと、ラフォルジュルネのチケットを購入した

GW、ノープランでここまで来てしまったけど、長女が「塾でゴールデンウィークのできごと新聞を作る宿題が出た!」と言うし、GW明けの学校や保育園では何処何処に行ったって話で盛り上がるんだろうなあと思い、今さらながらいろいろ考え始めた。

でも、他の誰でもない私の体調が悪くて(相変わらず声が出ないし咳もひどい。良くなっている実感が全くなく、こういう不調って初めてかも、とやや不安になっている)、遠くに出かけるとか、外で元気に身体を動かすとかは、どうにも無理そう。

近場で、私自身がちょっとのんびりしたり癒されたりしつつ、子どもたちや夫もそれなりに楽しめるプランにしたいなあ(基本、自分第一なので/笑)と考えた結果…

ラフォルジュルネに行くことにした!

ラフォルジュルネ、このブログで紹介して、絶対行くようなことを書いていたけど、その後チケットを取っていなかったという(笑)。

本腰を入れてチケットを探し始めたら、魅力的だと思う公演のチケットは売り切れか、残っていても後ろの端っこの席のみという感じで、さすがに遅すぎたらしい←当たり前。

でもでも、なんとか5/3の公演2つ、家族4人分のチケットを取ることができた。

・「森は生きている」のオペラ(日本語版)

モルダウは長女が去年ピアノの発表会で弾いたから、長女はもちろん、次女もよく知っている曲だし、オペラは日本語だから、子どもたちも楽しめるんじゃないかと思って選んだ。

どうかな、楽しんでくれるといいけれど。

長女8歳、次女4歳。この年齢だと、長女は全公演(6歳以上入場可)、次女もお昼の公演(3歳以上入場可)なら入れるらしい。子どもに生のクラシック音楽を聴かせられる場を提供してくれて、ありがたい限り。

声が出ない

私は、少し体調を崩すと喉にくる。声が出なくなる。

2年前、原因不明の声のかすれに1年近く悩まされてから、喉を大切にするよう、自分なりに気を使ってきたつもりだったけど…

昨日からまた声が出なくなってしまった。

一週間くらい前、長女が同じような風邪を引いて変な声になっていて、どうやらそれが移ったらしい。

昨日、学校から帰ってきて、私の声が出ないことを知った長女は「体調わるいよね、寝てていいよ」と声をかけてくれて、それ以上は特に何も言わず、いつもよりてきぱき彼女自身の用事を片付けていた。多くは語らないけど、心配してくれているのが伝わって、長女の安定感にすごく安心した。

次女は「チューしたらなおるから、チューしてあげるね」と言って、ほっぺたにチューをしてくれた。そして、その後はいつも通りのわがままっぷりを発揮(笑)。これもまた、いかにも!って感じでかわいい。かわいすぎる。

夫は「これ一箱持っていっていいよ」と彼が愛用しているトローチを持ってきた。彼は、私が肩が凝ったと言えば湿布を持ってくるし、とりあえず薬を与えておけばいいと思っているフシがあるけれど、これも彼の愛情表現なんだと思うことにする。薬箱をガサゴソ探してくれる姿がちょっとカワイイしね。

声が出なくて喉が異常に痛いけど、熱もないし、特にだるいということもない。育児も家事も仕事も、休むほどのものではない(休めないという説もある)から通常通りだけど、声が出ないと仕事にならない…今日をどうやって乗り切るか、考えながらトローチを舐める通勤電車。

全然喋らない私を見て、職場の上司たちもさすがに心配してくれるかな。

そんなこと考えてないで、早く治さなくちゃいけない。

メダカの水槽の大掃除

日曜日、メダカの水槽の大掃除をした。

去年の夏、メダカを飼いたいと長女が言い出し、生き物を飼うのは子どもにとってとても重要な経験だとじいじ(私の父)が賛同し、私と夫が「そ、そうかな…」となっている間に、水槽と砂利などのセットとメダカちゃんが我が家にやってきた。

最初のころ、長女はエサをやったり、水槽の掃除の手伝いをしたり、かなり積極的にメダカの世話をしていた。じいじも、水草を買ってきたり、水槽用の蛍光灯を取り付けたり、精力的に動いてくれていた。

正直言って、生き物全般が得意ではない私。メダカを飼うのも嫌だったけど、長女とじいじがこの調子で頑張っていくのなら、まあ飼っていてもいいかな、と思っていた。

でも、しばらくすると、長女もじいじもメダカの世話をしなくなった。飽きたのだ。長女はエサをやることすら面倒になったようで、言われたら仕方なくあげる、しかも水槽のフタのすき間から無理やりエサを入れるようになってしまった。

しつこいけれど、正直言って、生き物全般が得意ではない私。メダカの世話なんてやりたくないけど、長女もじいじも放ってしまったとなれば、私がやるしかない。

夫?
彼は、やりたくないことは頑としてやらない人間だ。料理だって運転だって、今までそうやってずっと逃げてきた。メダカの世話なんてやってくれるはずがない。

私は嫌々ではあるけれど、生きているメダカを見殺しにするわけにもいかず、必要最低限の世話だけは続けていた。

でも…私が考えていた必要最低限は、メダカにとって必要最低限未満だったらしく、冬を越して春になりかけた頃から、水槽のなかが緑色に濁り始めた。

どうやら、水草がくさったらしい。腐っている部分を処分して、水を替えて、と応急処置をしてなんとかしのごうとするも、一週間も経たないうちにまた緑色になり、もはやメダカがどこを泳いでいるのか見づらい状況になった。そして、水槽のまわり一体にいや〜な匂いも漂うようになってしまった。

これは、さすがにまずい。

ということで、意を決して大掃除をすることになった。長女と夫を怒鳴りつけて手伝わせ、すべての砂利をきれいに洗って、水槽やポンプももちろん洗ったり取り替えたりして、奮闘すること一時間以上(って、あんまりたいした時間じゃないところが情けない!)。

長女と夫が新しい水草などを買ってきて入れて、本来あるべき姿の水槽が復活した。

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しばらくしてエサをあげると、3匹ともパクパク食いついてきて、競い合うように食べていた。

そして、水槽のまわりに家族が集まって、しばし観賞。「メダカさん、エサ食べてるねー」長女と次女が嬉しそうに言う。「なんか癒されるね」と夫がしみじみ言う。なんだよ、掃除もしなかったくせに、と内心夫に悪態をつきつつ、でもやっぱり癒されるなと私も思う。

これからは、汚れがたまってしまう前に、こまめに掃除をしなくてはいけない。

とてもしつこいけれど、正直生き物全般が得意ではない私。だけど、我が家の劣悪な水槽のなかでたくましく生きていてくれた3匹のメダカちゃんのことは、ちょっとだけかわいくなってきた。

家族四人、カウンター席に並んで座る

昨日、家族4人で近所の行きつけの餃子屋さんに行ったら、混んでてカウンター席(というのか、普通1人で来た人が座る席)しか空いてなかった。でも、あっさりそこに4人並んで座ることになった。家族で横一列に座るって、いつもと違って、なんだかクスッと笑いたくなる構図。

ちょっと前だったら、テーブル席じゃなきゃとか、子供用の椅子がなきゃとか、外食前にいろいろ調べたり、行ってみて良さそうな席がなければ諦めたりしていたけど、もう、基本的にはどこでも外食できるようになったなあ。

そんなふうに感慨にふけっているのは私だけで、餃子を待つ間、長女はドラえもんの漫画を読むのに夢中になり、次女はパパに漫画を読み聞かせてもらっていたけど。左から次女、夫、長女、私という順で座ったから、私はなんにもやることがなかった。

餃子ができあがったら、マスター(って言うとかっこいいな。お店のご主人、簡単に言うとおじさん)はカウンターの端っこに餃子やスープなどがどっさりのったお盆を置いて、別のお客さんのところに行ってしまった。自分たちで配膳しろってことか(笑)。

まあ、この餃子屋さんにはいつもお世話になってるし、「混んでるから常連さんあとはよろしく!」って感じなのかな?というポジティブな解釈で、家族間で餃子をまわす。これ誰の〜?って。

無事餃子が行き渡ったら、あとは無言で食べる。子どもたち、ここの餃子が大好きで、安定の勢いでよく食べる。私にとっては、餃子と言えば母が作るものだったけど、子どもたちにとっては「歩いて3分の餃子屋さんで食べるもの」なんだろうな、と思うと、ちょっとだけ複雑だけど。

食べ終わったら、ちょっとだけ漫画を読んで、そして帰る。我ながら回転率が良くておとなしい良いお客さんだと思う。

帰り道、長女が「今日の席、楽しかったね。餃子とかウーロン茶とかを順番にまわすのがおもしろかった!」とテンション高めに言っていた。

そうそう、いつもとほんのちょっとだけ違うことって、ものすごく楽しいよね、と思った土曜日の夜だった。

久しぶりの更新なのにグチしか言えない

4月はやっぱり忙しい。そして慌ただしい。

今回は、長女も次女も進級だからそんなに問題ないかなと思っていたけれど、クラスが変わったり担任の先生が変わったりするのはストレスなんだなあと改めて実感した。

ふたりとも、疲れるからかいつもより早めに寝るし、体調もななめな感じだし。連休まで頑張ってほしいなと思うけど、無理をする必要もないし、身体が悲鳴をあげたら、少し休むのもいいかもしれない。

という私も、学年替わりは子どもたちのお道具袋やコップ袋などなどを新調したり、学校とか保育園とか習い事とかからのたっくさんある書類を書いたり、そもそも仕事も忙しい時期だったりで、いやー、正直なところ、2日くらいすべてを忘れて寝続けたいくらいには疲れた。もちろん寝てなんかいられないし、そんな忙しいながらも普通の毎日を送れることこそ幸せだってことはわかっているつもり、少なくともわかろうと努力はしている。

つい先日、職場の同じ部署の先輩(というより上司と言った方が正しいのかもしれない)が育休から復帰した。2歳過ぎの子供を保育園に送迎するために朝夕両方時短、私の職場では当たり前の夜勤も免除。それを横目で見ながら、私は4歳と小3の子供を保育園と学童に送迎しながらフルタイム、夜勤も残業も休日出勤も全部やっている。上の子も下の子も1歳のときに復帰して、ずっとそうやってやってきた。

この状況に冷静でいられない私は、性格悪いのだろうか。どうすれば気にしないでやっていけるだろうか。

女の敵は女とかよく言うけど、この場合、まさに私が悪役なんだろうな、とか思うともはや怒りを通り越して笑えてきて、仕事へのモチベーションが下がりまくる。やってられない。

と、久々の更新のくせして、こんなつまらないことを書いている自分もどうかと思うけど、ここに書くとちょっと落ち着くことも事実だから、あえてこれで更新しちゃう。

フルタイムでいろんな仕事に行っているからこそ感じていること、勉強になっていることもたくさんあるし、少ない時間でも子どもたちと楽しいこともたくさんしている。次からはそんな話を書きたい。

ホタルイカ

この時期、大好きな食べ物といえば、ホタルイカ。生ももちろん好きだけど、安価で手に入りやすいボイルのホタルイカを買ってきて、目とクチをとって、酢味噌で食べるのがもう、たまらない。
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かなり大きいパックで買ってきても、ひとりで食べられる自信はあるけど、一応半分夫に分けてあげる。

この時期、なぜだかやたらとホタルイカを食べさせられることになる夫、今のところ文句を言ったり、嫌な顔をしたりしないから、彼もそれなりにホタルイカが好きなんだろうと思う。

敢えて聞いて、実はあまり好きじゃないなんて言われたら、私もなんとなく食べづらくなるから、ホタルイカ好き?なんて聞かないことにしている。

春は、毎年必ず、新しいものや人に出会わなければならない季節で、それはとても喜ばしいことでもあるけど、その分不安も大きい。

そんなときに、毎年春になると決まって会える大好きな食べ物や景色なんかがあると、いくぶん落ち着く。

私にとって、ホタルイカはそんな存在だ。

この春、自分自身の仕事では大きな変化はないけれど、長女は小学校で初めてのクラス替え、そしてたぶん担任替えを経験する。次女も、クラスは一クラスしかないから変わらないけれど、担任が変わる。

それは、ある意味自分自身の何かが変わるより、大きな変化だ。困難があったとき、自分が直接的には何もできない、だけど、自分自身の困難より先に助けにいきたい。我が子の困難とは、そんなものだと思う。

子どもたちには、困難にも負けない強い人間になってほしい。それが無理なら、せめて困難に立ち向かって震えている自分を少しでも落ち着けてくれる、私にとってホタルイカのような存在をもってほしい。

自力でそんな存在をみつけられるまで、母である私が代わりを務められたらと思うけど、難しいかな…

今年の春という季節を長女も次女もなんとかして乗り越えてくれることを願っている。

焼き鳥を食べながらの帰り道

先日、長女が習い事に行っている間に、次女を保育園に迎えに行った。

その帰り道、普段は次女が「みるとたべたくなるから、やきとりはみないんだよ」と言って通り過ぎる焼き鳥屋さんに寄り、ボローニャソーセージの焼き鳥(ってなんか変だけど、ソーセージを四角く切って串にさしてあるもの)を1本だけ買い、次女は大切そうにそれを食べながら家に帰った。

「今日はお姉ちゃんもいないし、特別だよ」と私が言うと、次女は満面の笑みで「おねえちゃんにはないしょにしよう。ソーセージおいしいなあ。おうちでたべるよりおいしいよ」と言っていた。

でも、その後結局、お姉ちゃんに喋ってしまった。次女ではなく、私が喋ってしまった。次女があまりに嬉しそうだったことを長女にも伝えたくなったのだ。

話を聞いた長女は、次女をひどく羨ましがった。当然だ。私も帰り道に焼き鳥食べたい。しょっちゅう言うようになってしまった。

根負けして、昨日は、長女にも次女にも1本ずつ焼き鳥を買ってやった。長女は大好きな鶏皮、次女は相変わらずのボローニャソーセージ。「買っていいけど、自分でほしいのをちゃんと言って、お金も払うんだよ」と言って100円ずつ渡すと、ちゃんとふたりとも、自分のほしい種類を言って、タレをつけてほしいことも伝えて、お金を払っていた。

帰り道、長女も次女も、大切そうに一口ずつ、焼き鳥を食べていた。「(串から焼き鳥を食べるときは)とまってたべてもいいんだよ」と、買い食いのセンパイである次女が自慢げに言う。そんなのわかってるよーと適当に頷きながら、「これ、家で食べるのより皮がプルプルしてるよ、おいしいねぇ」と長女がとても嬉しそうにしている。普段人一倍テンションが低い彼女にしては、特別嬉しそうな様子に、私まで嬉しくなった。100円の焼き鳥は、帰り道の姉妹にとって、どんなに高級な料理よりもおいしいごちそうなんだろうな、と思った。

もちろん、ランドセルを背負ったり保育園の通園カバンを肩に掛けたりしながら買い食いをするのは、絶対に誉められたことではない。親なら、買い食いはダメなんだよと教えるべきだともわかっている。

でも、子どもたちのこんなに嬉しそうな顔を見れるなら、たまにならいいのかなって、思ってしまった。

それほどに、姉妹にではなく、母である私にしあわせな時間をくれた「焼き鳥の買い食い」。

たぶん、毎日ちょっとした努力や工夫で出会えるであろう、しあわせな時間。イライラして出会えなかったり、本当は出会っているのに気づけなかったりする日が多いなか、昨日はしっかりつかまえることができて、良かった。